【「負け」の定義】
『麻雀放浪記』を書かれた作家の阿佐田哲也さんがこんなことを仰ってます。「10万円を手に競馬に出かけて7万円負けた時点でもう勝負に負けたと思う。しかしそれは違う。9万9900円負けても、負けが決まったわけじゃない。最後の100円で当たり馬券を取り、それが2万、3万、さらには10万、15万、20万に膨らむことだってある。10万円全てを使いきった時に、負けは決定する」と。もちろんこの言葉は、身を滅ぼすまで博打に熱中しろという意味ではなくって、全てはプロセスであるということなのでしょう。勝負は最後まで判らない。ちょっと勝ったから大喜びするのも愚かだし、負けが続いたからといって悲観するのもバカらしい。人生の中でスランプなんていくらでもあります。しかしどれだけ落ち込んでも、人は1年も2年も落ち込み続けてはいられません。2週間も沈み込んでるうちに吹っ切れる。落ち込んでいる自分と対峙し、スランプに肩までどっぷり浸かったあとは、勢いよく飛び出せばいいんです。一度大きな失敗をすれば、誰だって自信を失ってしまう。長いスランプに見舞われたアスリートはどうやってそれを克服するか?きっと、とことんまで落ち込みスランプを直視され、また目標に向かって粛々と努力されるんでしょう。
入試の結果が「合格」でも「不合格」でも、それは長い長い人生のうちの、通り道における小さな一つの結果に過ぎず、決定打でもなければ致命傷でもない。子供らには(職員にもですが)、どんな結果だろうとそれを活かして次に繋げろと言ってます。今や人生100年時代。たかだか10代の成功や失敗が何だということ。
中村文昭氏曰く「失敗しても、ドラマチックに復活すればいい」。
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